「欲望の暴走を止める『仏教タイム』」 今月の住職法話

3月11日は東日本大震災から丁度10年目です。住職はその時は大阪のお寺で布教中でした。ご本堂のお飾りが大きく揺れていて参拝の皆さんと不思議だなぁと話していました。その後PTAの送別会では枚方市内の小料理屋さんのテレビに次々と流れてくる東北地方の惨状にお酒もすすまずすぐにお開きになりました。直後全国の原子力発電所がストップし夜間の照明を落とすなどの取り組みが一時的にありました。日本中で、これまでの当たり前の贅沢が考え直されたことでした。

 今年はコロナ禍から1年が経っています。昨年の春先に緊急事態宣言となり一旦感染拡大は抑えられましたが、その後GOTOトラベル等の影響から感染の再拡大となりました。その間に沢山の人が亡くなっています。振り返れば、なんとなく同じような過ちと反省を私達は繰り返しているようにも思うのです。

生活の中に仏教タイムをつくる

 日本人だからとか現代人はとか言うレベルでは無くて、人間は根本的にどうしても欲望に打ち勝つことは難しいのです。そこで仏教は古来から実践的な取り組みとして、この欲望を何とか抑えようと工夫をして来ました。山にこもり出家するという、そこまでいかなくても普通の生業の中でも工夫をしました。。ご命日のお月参り等もそういう意味で大切です。そしてさらに実践的に、そのいくつかを生活の中に取り入れてみてはいかがでしょうか?

まず「お下がり」をいただくという習慣です。食べ物でも家財でも、私達はつい自分が働いて稼いだお金で手に入れたのだから、自分の思い通りに遠慮無く使いたいと思うものです。でも形だけですが1度お仏壇にお供えできる物はお供えしてから食べるなり使うなりしてみてはどうでしょうか?それが「お下がり」をいただくと言うことです。「尊い力に生かされている」という感覚がやがて身についてきます。

もう一つは「布施」です。ここでいうことは住職にお金をお渡しくださるお布施ではありません。布施とは広い意味で相手本位にものを考え、その為に時間と労力をつかうことです。私達は無意識に自分の損得で行動します。そこで週に1日でも「お布施タイム」をつくり徹底して自分を犠牲にして相手本位になってみてはいかがでしょうか?

 どちらも意識しないと出来ないことなのです。ですからやろうとすると結構面倒だと思います。でもこのひと工夫を加えた生活習慣こそ、緊急事態にいかされるのです。