住職法話「科学を気にせず情のままに手を合わす」

「西の彼方にある阿弥陀様の国である西方極楽浄土に私たちは臨終と同時に往き生まれる」これが浄土真宗です。

 ところで、みなさんは「仏さまがいつも一緒」であるとか「お浄土に先に亡くなった方がおられる」とか、想像しにくいと思います。それは、科学的な思考回路が邪魔をしていると思ってください。

 仏教は科学を知らないとか無視しているのではないのです。お釈迦様は、科学的な思考回路を持つから悲しみを抱えている私をとっくにご存知であったと思います。

 さてそれでは阿弥陀様の「臨終と同時にお浄土に往き生まれる」とは、どういう教えなのでしょうか。

 私の同級生の友人が25才の時に亡くなりました。ガンです。そのお通夜の時です。お父様が、「私の娘は闘病生活に苦しみました。それでも亡くなる丁度10日程前です。たわいも無い会話からつい私は娘に申しました。『お前が先に死んでしまったらお父さんは何を楽しみにいきたらいいのか分からない。』と、すると娘がこう言うのです。『お父さん私は死に行く命を生きてきたのではありません。仏となる命を生かさせていただきました。これは永遠の別れではありません。お浄土で再会できる日を楽しみにしください』と、私は嬉しかったです。娘には行くところが有りました。それはまた私たちと会える所でもありました。」このようにお話しくださったことでした。

 方や、最高裁判所の裁判長を務めた方が、余命宣告を受けてから雑誌に寄稿されて、いよいよ最後の時に「わたしはもうすぐ地球のゴミとなります」と言われたそうです。

 阿弥陀様は、私が「地球のゴミ」と終わっていくことを黙って見ておれない仏さまでした。だから自ら「どんな悪人であっても救うことの出来る仏に成りたい」と願い立ち上がってくださり、私を「地球のゴミ」では無く、仏の位に生まれかわるお救いを成就してくださったのです。さらにありがたいのは、未経験の死を真剣に考えるとか、まして仏に成るとかは、私たち愚かな凡夫にはとても難しい事ですから、「西の夕陽の沈む彼方にお前は仏と成るために生まれるのだよ」と、人情で感じることの出来るお救いにしてくださいました。

 私たちは科学では生き抜けません。それを見越してのお救いが阿弥陀様のお救いですから、安心して西方極楽浄土を拝む事が出来るのです。