仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・死刑制度と阿弥陀様

「死刑制度と阿弥陀様」

 少し前になりましたが、瀬戸内寂聴さんが死刑について批判の声明を出し、それについて特に被害者家族などからの批判の声が上がっているという事がありました。それを受けてでしょう。ある方から、「仏様は死刑囚を救うのか」それとも「仏様は被害者やその家族を救うのか」というおたずねを受けました。

 あまり世間の法について善悪をいうべきではないのですが、死刑という刑罰がそもそもどうかというと、死刑は被害者家族の為の刑罰では無いはずです。極刑を殺人罪に適用する事によって殺人という犯罪を無くそうという意図で設けられた刑罰です。 しかし未だに殺人はなくなりません。そういう意味では、死刑という刑罰は不完全であり、死刑制度を見直すことは必要と言えるのです。そして、被害者家族のためにすべきことは、死刑以外の方法で考えてみてもいいのではないでしょうか。

 さて仏様の救いを考えます。阿弥陀さまのお慈悲は、人の苦悩を捨てずとはたらかれます。私の苦悩とはどこにどのように存在するのでしょうか。それは、例えば人を傷つけるという行為は同じでも、外科医が患者の身体を執刀するところには、外科医の苦悩はありません。対して幼児であっても何かを守りたいと思い他人をたたく行為をするところには、その幼児の心には苦悩があります。

 この苦悩について差別なく平等に救いたいと立ち上がられたのが、お慈悲の仏様である阿弥陀さまなのです。阿弥陀さまは私の苦悩が世間からどの様に評価されようとも、また誰からも理解を得られなくとも、阿弥陀さまはこの私の苦悩を捨てはなさらないのです。

 人間の世界では、悲惨な事件が必ず起こります。それが娑婆という世界です。そして私は、時代や社会に振り回され、その中で自らの煩悩によって苦悩をします。私はやがて社会から捨てられ、私自身であっても自分自身を支えることが出来なくなります。それでも阿弥陀さまは私を救うお慈悲の仏様でありつづけてくださいます。