仏事・参拝・住職コラム(法話)
・他力の信心
浄土真宗は「他力の信心」をいただいてお念仏の生活をする宗教です。勝圓寺では毎月「こども会」を開催していますが、毎年1月の「こども会」ではこども達に「他力の信心」をいただいてもらう話しをしています。
どんな内容かともうしますと、「阿弥陀様は私がどれほど愚かで悪人であっても、必ず助けて見せますよとおはたらきくださる、お慈悲の仏様です!」とお伝えしています。
普通は「阿弥陀様は頑張ってお寺にお参りしてくれたよい子を救けてくださる仏様です」と思うものですが、それではいずれ私たちは「仏様でさえも自分を見捨ててしまわれた」と悲しむことになります。そうなることを阿弥陀様は先回りしてご存知くださっていました。だから「どれほどにお前が愚か者でも、世間があきれ果てたとしても、阿弥陀仏と成ったからには、お前を助けることの出来る力を持ったから安心しておくれ」という願いを伝えるために南無阿弥陀仏とお念仏に現れる仏様に成ってくださったのが阿弥陀様なのです。
「他力の信心」とは、阿弥陀様とはそういうお慈悲の仏様でしたと、聞き受けることなのです。
住職も初学のころ、先輩僧侶の方から言われたのが、「確かな私になる努力は浄土真宗では必要無いんですよ。確かないのちの親さまである阿弥陀様がいてくださることを聞かせていただくことが浄土真宗ですよ。」ということでした。
よくよく考えると私たちは生まれてすぐに、確かな私になる努力を迫られて生きています。家庭でも学校でもそして職場でもその様です。そして思うようにならないから苦悩を抱えてしまっています。阿弥陀様はそんな私を放っておけない方でした。
世界を見渡しください。既に人類は自分達の能力以上にどうしようもない欲望の為に、苦しみを抱えてしまっています。戦争をすればお互いに傷つくことを知っていても、そういう事をしてしまったのが、現代の私たちなのです。
だからこそ阿弥陀様の救いが私たちには必要です。もし皆さんが浄土真宗の教えに触れて阿弥陀様のお慈悲の優しさに出遇ったなら、次にしていただきたいのが、その阿弥陀様の事を1人でもいいので、有縁の方に語ってください。その輪が広がることが、きっと平和な社会の第一歩となると住職は思っています。
日本中が悲しみから始まった令和6年ですが、最後にはとても有り難い年だったとしたいですね。