仏事・参拝・住職コラム(法話)
・仏教といっても悪人を救うのは阿弥陀さまだけ
アメリカ大リーグでの、大谷選手と元通訳の水原氏の事件は衝撃的でした。誰でも信頼していた友達に裏切られることはとても辛いことです。
仏教の世界でもお釈迦様のご在世からこの人間関係の苦しみは説かれています。お釈迦様でさえ、従兄弟の提婆達多に嫉妬心から命を狙われています。それくらい人間社会において裏切ったり裏切られるは、ある意味で誰でもが人生において必ず出遇う苦しみといえるでしょう。
ところが、この裏切り行為について捉え方は、仏教内では全く違う二つの捉え方が示されています。
ひとつは「聖道門」(自らの力でさとりを開くことを目的とする派)では、十悪のひとつで克服しなければ地獄に落ちる行為とされます。
もうひとつは「浄土門」(阿弥陀様の力でさとりを浄土で開く派)では、裏切ったり裏切られたりに涙する私を阿弥陀様が救けると説かれます。少し視点を変えていうと「聖道門」では裏切り行為は悪行であるから、行わないようにする事を勧めます。それに対して、「浄土門」では裏切る方にも苦悩があると示し、人間社会の課題を問題としているといえます。
「浄土門」の経典『仏説観無量寿経』には王様を裏切る家臣が出てきますが、親鸞さまは王様も家臣も、私たちの世界や私自身の中には人を裏切る事をするであろう要因があることを、身を以てお示しくださった菩薩様であると受けとめていかれます。そして阿弥陀様の救いは、むしろ人を裏切らなければならないという苦しみを背負った人に向けられていると見抜いていかれました。
友人から聞かされたことですが、会社でリストラを部下に告げるとき、何日も夜も眠れず、食事も喉を通らなかったといいます。人生では求めずともそんな苦悩がおとずれます。
今回の水原氏の行為は許されないものではあるのですが、そこに至るまでの苦悩は、はたしてどれ程のものであったのか想像も出来ないことです。今後は世の中が正論や正義を主張すればするほど、彼を苦しめ追い詰めるでしょう。でもその苦しみは、形は違えども、誰も逃げることの出来ない世界こそ、この娑婆であると仏教は教えます。
私たちは縁さえ整えば、何をするか分かりません。だからこそ、人を裏切ったり裏切られたりする苦悩を、阿弥陀様は放ってはおかないということを、聞かせていただくことが大切です。
いつも阿弥陀様がご一緒であることを聴くか聴かないかが浄土真宗では大切であるのです。