仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・浄土真宗の神祇観

災害が景気が悪くなると、つい神だのみを考える方も多いのではないでしょうか?浄土真宗では「加持祈祷」は御法度なのですが、それはどうしてかご存知でしょうか?よく「神だのみなんて非科学的な思想だから良くない」という方もあります。しかしそれは浄土真宗で「神だのみ」を否定している理由にはなりません。何故ならば、阿弥陀様のお慈悲も非科学的だからです。

 私達は科学によって生活を向上させてきました。しかし、科学では解決出来ない苦悩が人生では誰でも直面します。そのときに本当にその苦悩を解決してくれるのが、宗教です。しかし、その宗教を名乗りながら、全く私達の苦悩を解決に導かないものを、「迷信」「邪神」といい、親鸞聖人は厳しく対応されました。

「迷信」と「邪神」とは?

 いずれも私の欲望を利用するとてもタチの悪い思想ですが、表向きは宗教を名乗る場合もあります。例えば「お金持ちになりますよ」「病気が治りますよ」「頭が良くなりますよ」は、実はみんな飛びつきたい欲望です。ですからそこに時間やお金をかけることにも抵抗が少ないといえます。それを利用している宗教が「迷信」です。

 さらにそれが思い通りにならないと、「あなたが悪いのではありません。あなたが本当なら病気にならなかったはずなのに、それを妨害した人がいるのです。悪いのはその人ですから、排除しましょう!」といい、「おはらい」を勧めるのが「邪神」です。これが一番タチが悪く、表向きは善の宗教にしか見えませんが、やがて無駄な時間とお金を使い果たし、すべてに虚しくなって涙を流す私のことを、陰でクスクスと笑うという、本当にタチの悪い存在です。

 意外と思い当たることが多いと思います。みなさん。大丈夫ですか?

 迷惑なのは、こうやって「迷信・邪神」も宗教を名乗るので、現代人が宗教離れを起こしているのです。

浄土真宗で「神」の位置づけ

 浄土真宗で「神」は仏様の守り神である善神と、私達と共に阿弥陀様に救われる悪鬼神が取り上げられます。ある意味で、阿弥陀様の前では私と神とは同列となります。それくらい身近な存在と理解されてきました。

 そして最も大切なのは、「仏教」とは「仏となる道」です。浄土真宗も南無阿弥陀仏のおいわれを聞き信心を得たひとは、「私が仏に成る」という明確な方向性をいただきます。それは、あらゆる苦悩の原因は私自身の中にあることを見つめる目や心をいただくことです。そうしてその時の私には「迷信・邪神」は、私のまことの世界へ歩みを妨げる存在と気付かされ、遠ざかるべき存在となるでしょう。