仏事・参拝・住職コラム(法話)
・中国と日本(再考)
最近、お隣中国(中華人民共和国)との関係悪化がよく取り上げられます。今に始まったことでは有りませんが、今回は少し様子が違うようです。そこには二つの側面があるように思います。ひとつは「経済的な心配」もうひとつは「戦争責任論」ですが、そこには10年前よりも難しい現実があります。ひとつ目は既に経済的に日本の中国依存度が高くなっていること。二つ目は戦争(この場合は第二次世界大戦)が特に若い人には遠い過去のことになっている事です。
住職としてはその中で、分断を助長する世相傾向には大いに抵抗を感じています。そこでもう一度、私たちにとって中国はどういう存在であるのかをポジティブに考えてみたいと思うのです。
ひとつ目の「経済の中国依存度」。よくよく考えると日本はずっとアメリカ依存でやってきています。でもどうでしょう?衣食住という基本的な部分では私はアメリカより中国の方が、日本向けではないかと思いうのです。肉まんとハンバーガー、餃子とポテトフライ、どちらも美味しいですが毎日食べるとしたらどちらですか?実は中国依存の方が快適かも?ということもあるのです。そして住職的には、仏教といえば中国依存度抜群でアメリカ依存は微塵も無いのが現状です。
次に「戦争責任論」これは当事者の感情があるので軽い問題ではありません。家族を殺されたとなればその恨みは計り知れません。ただこの解決方法として日本はアメリカ的と中国的が入り組み、一言で言うと政治的にも国民的にも現状は混乱しています。
アメリカは恨みの解決は、ハッキリと事実を表面化させ、法的な招致によって善悪白黒をハッキリとさせます。だだし法的な賠償責任を果たしたその後は、総てを水に流そうとします。
一方中国は調和重視で表面的には事実は公にはせず穏便に片付け、根底ではしっかりとしかも長期的に恨みが残らないようにします。
とまぁこれはAIの答えなのですが、なるほどなぁと思うことありませんか?
個人的な範囲ではどちらもあると思いますが、日本は実は中国的な解決をします。例えば約25年前のJR西日本の伊丹での脱線事故、その後JR側は恒久的な社内意識教育と被害者や遺族への謝罪を続けています。賠償金を払って、ハイ終わり! は日本ではありえないのです。
そして、こう言う解決方法はやはり中国から学んだものです。
私はここは重要なことだと思っています。人間は身勝手ですから、間違いを起こします。だから長い目で見て、二度とお互いに傷つけ合わない方法を根本的に見ていく。そして国民一人一人が解決の歩みを止めない。それが日本にはできると思います。
やはり中国は思想的にも本当は我々日本人には理解しやすい相手では無いでしょうか?少なくともトランプさんよりは・・・