仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・「世界一優しい阿弥陀様の救い」

「どうすれば浄土真宗を信仰できますか?」この質問は多いですね。コツというなら、「阿弥陀様を好きになる」ことです。そして阿弥陀様を好きになるにはどうすうのか?

それはズバリ「馬鹿になる」です。

「阿弥陀さまを好きになる」ということと「馬鹿になる」とは同じ事なんです。馬鹿にならなくては阿弥陀様が好きになれない、賢くなって助かると思う人は阿弥陀様を馬鹿にします。 

 

かつて高度成長期にお寺さんお坊さんでも、時代の流れに巻き込まれたのでしょうか。みんながいった、「死んだら浄土、そんな科学的で無い事を言っていたら現代人に浄土真宗は受け入れてもらえない」とか「阿弥陀如来のことを親さまなどという。なんと程度の低い宗教なのだと思われてしまうから止めよう」「そもそも浄土では死後の話しかしないと思われる。真宗でいいのだ。」 

等々、いまも時々お会いしますが、住職が学生の頃は龍谷大学でも学生達は盛んに「現代人のための新しい浄土真宗」を研究しようとしていました。

そんなとき住職も「西に沈む夕陽の先にお浄土がある。そんなことを言っていたらそのうちお寺参りをする人がいなくなる。」と考えて、研究テーマと使用と思い、指導教授に相談しました。

その時先生は「お釈迦様はほんまに地球は丸いと知らなかったのかなぁ〜?」と言われたのです。そのときは??と思うだけでしたが、あっこの研究はしない方がよいと直感的に感じたことがありました。

随分後でその先生の真意がわかりました。山口県の深川倫雄和上のお勉強会に参加したときです。和上が「現代人のくそ頭が!」とかおっしゃり、「現代人がとか世間一般では等と、偉そうに言うやつはたいがいが、お釈迦様より自分の方が頭がいいと思っている。とんでもない思い上がりだ。」といわれ、「お釈迦様は賢いよ〜、今の世界のどんな学者よりも賢いよ〜」と優しく語ってくださったのです。

その時ハッと気付きました。「西に沈む夕陽の先にお浄土がある」は、苦悩の私に対しての阿弥陀様のお慈悲なのです。わたしは「地球は丸い」と考える科学の頭しかありません。ですから本当の苦悩を自分では解決できないのです。でも一方で、もう会うことの出来ない先に亡くなっていった人々のことを懐かしみます。科学では解決不可能な事です。その私に「西に沈む夕陽は見えますか。その先にお浄土がありますよ。阿弥陀様はそこにあなたを連れて行くのです。そこにはあなたの懐かしい人々があなたを待っておられますよ。」と、お釈迦様は「地球は丸いよ」では私が悲しむことをご存じで、阿弥陀様が西方に極楽浄土をお建てくださったお話しをしてくださっているのでした。

 

・我々は科学が一番と思っている傾向が強い。つまり理解出来ないもの科学的で無いものは、そっちの方に欠陥があると言う傾向がある。 

 

「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」 

29歳の時に法然様からいわれた言葉がありがたかった。 

そこには親鸞様ご自身の挫折があった。 

お念仏をしてお浄土に行って仏となる。いくら考えても勉強しても分からない。しかし分かる必要が無い。分からないままの私に阿弥陀様が入り満ちてくださる。 それが、お念仏をしている私。 

一番嬉しかった事が「愚か者で助かる」という話であった。そこに愚か者を笑い飛ばさない、馬鹿になさらない阿弥陀様のお慈悲が有難しであった。もう賢いふりをしたり賢くなる努力をする必要が無いことが有り難かった。 

頭で理解する必要のない宗教、科学的に解決出来ない苦しみがある。その私に入り満ちてくださるお慈悲の仏様である阿弥陀様をたよりにするそれが浄土真宗なのです。

 

・火葬場の父の話

 息子が死んだ。放蕩息子であった。酒浸りになり、遠くはなれた北海道で死んだ。みんなに迷惑を掛けた息子だった。だから葬儀は仕方なしにするといっていた。

 全ての葬儀一連の行事が終わりいよいよ火葬場に着いたとき。釜の扉が閉まろうとするときに、急に父親が叫んだ!「ケンジ!暑いぞ!」

 住職の想像ですが。きっと昨晩お通夜の夜、みんなが帰ったあとにこの父親は棺桶の中の息子を眺めながら涙を流した。息子はだけからも理解されない苦しみを抱えていた。お酒しか無かった。それを世間は許さなかった。自分は息子を救ってやることが出来なかった。だからこの度は「仕方なしに息子の葬儀をする」と言って自分が世間の悪者になることにした。なぜか?それはそうしなくては、息子が世間の悪者になるから。それだけは避けてやりたかった。だからその父親は人前では涙を見せなかった。

「涙には涙に宿る仏あり。その御仏を法蔵(阿弥陀様)という」(木村無相)

愚かな自分を愚かとほっとくことの無い方がいる。それが阿弥陀様です。誰にも見せることの出来ない涙を私たちは流すのでは無いでしょうか?それは人に語れば馬鹿にされるからです。でもひっそりと人目を避けて流す涙にも、阿弥陀様は宿っておられますよという歌です。このお父さんのお通夜の晩の涙を阿弥陀様はご存じです。

阿弥陀様のお心は、私の科学的な頭では理解不可能です。しかし私たちは決して科学では解決不可能なことに悩み苦しむ存在です。その時自分の力のなさ知恵のなさに私たちは直面します。そのときこそ南無阿弥陀仏とお念仏をしてください。この愚かな私を馬鹿にすることなく、共に涙を流してくださる阿弥陀様のお慈悲を感じてください。

世間がなんといおうと、現代人の教育的な知識がどれほど否定しようと、阿弥陀様は私を否定されないのです。私にとって世界一優しいのが阿弥陀様であるのです。阿弥陀様の前では賢く振る舞う必要がありません。

浄土真宗は世間がなんといおうと、「私は愚か者ですから、阿弥陀様のお世話になります」と言わせていただくことが出来るのです。