仏事・参拝・住職コラム(法話)
「罪を告げず、生き方を語らず」阿弥陀様のお慈悲
「おうち時間」「新たな生活様式」が語られて、生活の変化は確実に進みました。これまで以上に非接触型のコミュニケーションスタイルはすすみます。賛否がありますが、顔を直接会わさずにコミュニケーションが取れる方が向いている人もいます。住職も友人の発信するコラム等をこの機会に拝見しましたが、素晴らしい文章や、人を元気にする言葉を発信する人が沢山いることに気付きました。中には正直いっていままで面と向かって接していただけでは気付くことの無かった人もいます。
さて、気になることもあります。実際に顔を合わせずコンピュータの画面上での会議や文章でのやり取りでの人間関係がこじれるという問題です。最近では若い芸能人がそれを苦にし、自らいのちを絶ったとみられる事件も起こっています。
そうなると必ず出てくる意見が、こういう新しいコミュニケーションへの批判的な意見です。確かに直接顔を合わさ無くてもよいことから、これまで言えなかった事を言えるようになることは事実です。でもそれは他人を傷つける言葉ばかりではありません。逆に勇気を与えたりする言葉も顔を合わさないから言えるはずです。
そもそも、私たちは人の欠点をすぐ指摘したがるものだと思っておいた方がいいと思います。そしてどんな気持ちで伝えたとしても、言われた方は必ず傷つくのです。
阿弥陀さまのお慈悲の心を説明するときには「○○のような優しい心です」とは説明しません。どのように説明するのかというと「阿弥陀さまは私に、罪を告げず、生き方を語る事の無い仏さまです。ですから沢山の仏さまの中でも慈悲第一の仏さまなのです。」といいます。
阿弥陀さまが「罪を告げず生き方を語らない」のは、私がそれほどに立派であったからではありません。阿弥陀さまは罪を告げ生き方を示すと、私が傷つくことをご存じです。だから出来なかったのです。この阿弥陀さまのなさらなかったお心をお慈悲というのです。
ずっと変わらないことがあります。それは私たちは言葉を持っているということです。伝え方が変わっても、私たちの心は変わりません。今一度、阿弥陀さまのお慈悲を思い出して、親切のつもりが人を傷つけてしまう私であることを、覚えておきましょう。阿弥陀さまのようには出来ませんが、それを知っていることがブレーキになればと思います。