仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・親鸞聖人の魅力(その1)

来月には親鸞様の法要「報恩講」もおつとめします。そこで親鸞さまについて、特によく語られるお人柄の魅力をお伝えしたいと思います。

宗祖では仏教界唯一の在家僧侶

親鸞様がご活躍された平安・鎌倉時代当時では、僧侶は国家資格でした。一度僧侶になると出家しますので、家を継いだり他の仕事をすることは無く、もしそうするならば還俗といって僧籍を捨ててから在家の生活に戻るというのが常識でした。ところが、親鸞様は僧侶として結婚をし家庭を持つ生活を選ばれたのです。それは煩悩(ボンノウ)という欲を捨てきれず日々の暮らしの中で、苦しみや悲しみを背負って生きる在家のものこそを、救うと願われた阿弥陀様のはたらきを感じながら生きることこそ、尊い真の仏道であるというお立場を選ばれたからです。

家族との別れ

ですから在家者ならではの苦悩も自ら体験されます。壮年期は妻と7人のこどもを抱えての生活は大変でありました。60歳を過ぎて京都に戻られてから、妻の恵信尼公は故郷の越後に戻られました。さらに悲劇は84歳の時に長男の善鸞さまと親子の縁を絶たれました。いずれも在家者と成られたからこそ、身に起こる孤独な苦しみだったでしょう。

愚か者が仏と成る

親鸞様はご自身のことを「愚禿釈親鸞」と言われました。「愚禿」(グトク)とは愚かなハゲ頭坊主ということです。阿弥陀様が寄り添ってくださる自分とは、賢いふりをしている飾った自分ではありません。愚かさに苦悩する隠しておきたい本当の自分が、阿弥陀様が放っておくことが出来なかった自分であったのです。「私は僧侶のふりをしてますが愚か者です」と言い切れたとき、阿弥陀様が「全部私にまかせよ」と言われる声が嬉しく心に響くのです。

ところで、浄土真宗を知り始めた頃に多くの方が引っかかるのがこの「全部まかせよ」です。でもここが大事なところです。親鸞聖人は、これが有り難く聞こえないのは自分は立派だと思う傲慢な心だといわれたのです。自分は愚か者だと思うことです。それが浄土真宗を阿弥陀様を好きになる一番の早道です。

師匠と阿弥陀様がすべて

親鸞様は人生の最後に「愚か者に成りなさい」と言ってくださった師匠の法然聖人の言葉を思い起こされます。そして良き師匠に出会えたことが人生最大の幸せであったと言いきられます。晩年に若い頃の苦労話をする人はよくおられますが、親鸞様はご自身の事は一切お話にならなかったと言います。親鸞様は阿弥陀様と立派な師匠に出会え、尊い人生でしたと、ご臨終を迎えました。

 人生を、自慢では無く感謝で終える人生こそ、素晴らしいと教えてくださったのが、親鸞様なのです。私達も心がけてその生き様を真似をさせていただいたらどうでしょうか?

 かつて深川倫雄和上に色々と浄土真宗の生き方を教えていただきました。そのひとつに自分では無く相手様を讃える努力をしなさいということが有りました。その喩として、「お酒が好きな者は、私はお酒が好きだと言うことを止めなさい。お酒は美味しい飲み物ですと言えば用は足る。」と教えていただきました。

どうでしょうか?皆さんも実践してみてください。新しい世界が開かれますよ!