仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・親鸞聖人のご誕生と現在

1173年5月21日に親鸞聖人は京都でお生まれになりました。藤原氏系統の日野家出身といわれます。宇治市に六地蔵という駅があり、そこから山の方に向かうとのどかな景色が広がってきます。法界寺というお寺の横に日野誕生院があります。コロナ禍が少しおさまればその辺りを散策されてもいいかもしれません。非常に心安らぐ場所です。

 さて、そんな現在の平和な風景とは裏腹に、親鸞聖人誕生当時は貴族の力が衰え、代わりに武家が歴史の表舞台に出てきます。保元の乱・平治の乱と立て続けに京都では戦がありました。家族が二手に分かれて争う時代でした。その時までの社会的価値観が音をたてて崩れている真っただ中に親鸞聖人はお生まれになったのです。

 やがて親鸞聖人が浄土真宗を開かれるきっかけはこの時代背景が大きく影響しています。師匠となる法然聖人もこの頃出家をされます。父親からは自分を殺しに来た暗殺者でも救われる仏教を人々に伝えてくれと言われていました。また当時の身分の低かったお母様は子育て途中で家から出されてしまいますが、その時法然聖人に身分や性別にも左右されない平等な救いを伝えて欲しいと言われています。法然聖人はその為に比叡山でご修行をされていました。そしてそこで中国の善導大師が明らかにされていた「南無阿弥陀仏」一つで救われる阿弥陀様の仏法に出会われたのです。親鸞聖人は29歳の時、法然聖人からこのお念仏の教えをお聞きになります。

 いずれにせよ時代社会の変化の中で人々が苦しみ、それまで朝廷のために儀礼的なことを中心に活動していた仏教から、時代社会の変化でも変わることの無い根本的な苦悩の解決を仏教に人々は求めていたのです。

 さて生まれたばかりの親鸞聖人はこの社会に翻弄されます。気がつけば比叡山で修行僧となっていたというのが本音だと思うのです。それでも親鸞聖人が9歳で京都の青蓮院で出家されるエピソードでは、夕刻に到着した松若丸に「明日にしましょう今日はゆっくり休みなさい」という青蓮院住職慈圓上人の言葉を振り切って、「明日には心変わりしているかもしれません。ですからいま得度の儀式をして欲しい」とお願いされたといいます。

 昨日までの友人が今日には敵になるような時代でした。自分自身であっても少しも当てにならないことを親鸞聖人はご存じだったのです。

 浄土真宗はそんな時代に出来ました。何か少し現在の日本と状況は似ているように思うのです。世間にも自分にも確かなものは無いという意識からはじめて見てください。そして浄土真宗の教えを聞いてみてください。不確かな私をお支えくださる阿弥陀様のお慈悲が聞こえてきます。