仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・悲しみこそご縁

6月から8月は、勝圓寺は「安居月間」と言って、つとめて仏様のお話を聞くようにお互いに励まし合うことをしております。住職も含めてそうですが、私達は仏法を聞く事を大切とは思いつつ、なかなか「お聴聞を第1に生活を組み立てています」とは成りにくいものです。ついつい後回しにしてしまいますから、せめてこの3か月だけは、すこしお寺参りの優先順序を上げてください。

 そもそもどうして私達は仏法を聞くことが大切なのでしょうか?

 仏法はいまから2500年前に北インドでゴータマシッタルダという方が明らかにされました。ちなみに法と生き方が少しもズレていない方が仏陀といわれますが、人類史上それはこのゴータマシッタルダという方しかおられませんから、釈尊とお呼びしてずっとお敬いしています。

 釈尊は「人生は苦なり」といわれました。わかりやすい言葉ですが、私達は本当の意味でそれを理解していません。それは苦から目を背けて少しでも楽しみたいというこころ、つまり煩悩(ぼんのう)を抱える存在であるからです。

 例えば、病気や老いは苦しみです。しかし私達は少しでも長生きしたいと願います。矛盾しているのですが、解っていてもどうすることも出来ない感情です。それが煩悩なのです。

 その私達にお釈迦様は二つの方法を説かれたのです。まず1つはお釈迦様は教主であり仏陀ですから、お釈迦様と同じように行をし同じ悟りを目指す方法を教えてくださいました。もう1つはお釈迦様は救済主である仏様の存在を教えてくださいましたが、それが阿弥陀如来が罪悪深重の凡夫を救うということです。

 前者は、お釈迦様のように生きていくことです。つまり煩悩を無くしてしまうと、生きながらにして苦は無くなります。出家と言って、家族はもちろん、一切の社会との関わりを絶って、病気や死を受け入れることも出来ます。(やせ我慢では無く)

 でもこれは現実的にはまだ出来た方はそうおられません。また周りから見たら出来ているようでも、ご本人は否定されています。ちなみに日本にはまだひとりもおられません。

 後者は、阿弥陀如来という救済仏に助けていただく方法です。それが浄土真宗等の浄土教です。救済される私の仕事は?というと阿弥陀如来がどうやって私を救けるのかまたその心はどのような願いをもっておられるのかを聞くことです。ですから浄土真宗はお聴聞といって法を聞くことを大切にするのです。

 また、いくら仏法を聞いたからといって、生き方を変えることは難しいです。それでも日々の出来事の受け取り方は変えていくことが出来ます。そのことがかなうのがこの仏様の話を聞く「仏法を聞く」つまり自分の頭に新しい「脳のシワ」を作ることですからお勧めするのです。

 今まで聞いたり考えたりしたことの無かった話それが仏様の話です。もちろん仏法を聞くことは、時には普段は蓋をしている苦しみ悲しみを見つめることに成ります。でも「悲しみが喜びに変わる」のは、真実の言葉である仏法を聞く以外にありません。