仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・生きる意味について(「後生の一大事」の解決)

お盆やお彼岸とこの時期は先に亡くなった方をしのぶ大切な季節だと思います。同時にお互いにこの世界との別れがあることを真剣に考えてみることが大切であります。

 「後生の一大事」という言葉があります。浄土真宗の第8代法主である蓮如上人はご自身の娘さんを亡くされたときに「このいのちのつきる後先は老若に関わらないことであるから、いまこそ後生の一大事をみな共に真剣に考え念仏しましょう」とおっしゃったといいます。住職は仏教が存在する理由はこの「後生の一大事」の解決だと思います。もう少しだけいえば仏法を聞いて日々の生活の不安への光が見えることはありますが、それはついでみたいなものです。そして浄土真宗にはこの解決が示されています。であるから勝圓寺も私も存在意義があるのです。

 さて話を戻します。「後生」とはこの世のいのちが終わりその後の生ということです。つまり死んで私はどうなるのか?それは「一大事」であると言われたのです。実は多くの人が「後生」は「一大事」どころか、今それを考えることが生きている自分にとって無意味な時間と思っています。

 いま蓮如上人もご自身が娘を失って、ハッとされたのでしょう。

 「一大事」ということを少し考えておきたいと思います。『仏説無量寿経』というお経には、私達の人生のことを「独生独死独来独去」といわれます。独りで生まれてきたように、友人や家族と嫌でも決別していかねばならないのが死です。人だけではありません。大切にして来た価値観も財産さえも自分のものでは無くなっていきます。私がどれほど力があろうとも知恵があろうとも、それらのものから私は虚しく引き裂かれていきます。それが死でありだからこそ「一大事」なのです。

 『仏説無量寿経』にはさらに、その私達の人生を心配し、解決の道を示されたのが法蔵菩薩という方であり、やがて示しただけでなく私達に代わって修行を積み、そのお徳で私達を助けることの出来る阿弥陀如来という仏様になられたと示されています。それは私1人のために十劫(とてつも永い時間。意味はネット検索でも調べられます)という時間をかけてくださりました。お経の内容が空論では無い証しがナモアミダブツのお念仏が私達に届いていることなのです。

 この阿弥陀如来がおまかせしておけばかなえてくださる「後生の一大事」の解決の道とは、私達はこの世のいのちが終われば西方極楽浄土に仏様としてうまれ、再びこの世にかえり来たって有縁を救っていくという道なのです。

 住職はこのいのちの道が大切と受けとめています。死は受け入れたくないことです。それは変わりませんが、でもその死に「仏様になる」という大きな意味を持つことが出来ました。そしてだからこそ、いまは仏様になるために生きているという、大切な人生であるといえます。全てを失ってしまうだけの人生ではなく、いつでもそして「後生の一大事」においても、阿弥陀様がご一緒ですからこそかなう、立派な身になるために死んでいく人生をいま生きているのです。

 いまはお念仏の教えを聞くことこそがもっとも大切なことなのです。そこにだけ私の「後生の一大事」の解決があるのです。