仏事・参拝・住職コラム(法話)
・親鸞様について2 非僧非俗の立場宣言
今月も浄土真宗の宗祖である親鸞聖人(1173〜1263)をしのびながら色々と考えてみたいと思います。12月は「非僧非俗」と自らの立場を宣言されたことを考えます。
親鸞聖人は法然聖人のもとで豊かなお念仏の生活を送られていました。しかしその生活も長くは続きませんでした35歳の時に法然聖人とその門弟に対して朝廷は、念仏中止と主だった方々に対しては、遠流(京都から遠いところに流す刑罰)や死罪という厳しい処分を行います。先月お話しした「誰でも御念仏1つで助かる」という教えに対して既存仏教からの批判が大きかったからと言われますが、当時の朝廷にとっても「誰でも」は都合が悪かったのです。それで親鸞聖人は僧侶資格を剥奪され越後に流罪となります。その時に親鸞聖人は自身を「愚禿釈親鸞」(愚かなハゲ頭の釈尊の弟子である親鸞)と名のり、そして自分自身の立場を「非僧非俗」と宣言されたのです。国家公認の僧侶では無いが、俗人でも無くお釈迦様の弟子であるとその立ち位置を大切にされました。
「非僧」とあえて言われたところには、受けた処罰に対する時の政権への批判的な態度が想像出来ますが、「非俗」というところに親鸞聖人の豊かな宗教的喜びの精神世界があります。
私達の生きる世界はシャバと言われる俗世です。そこでは「生まれ」「性別」「学歴」「仕事」「社会制度」等々、人を識別するものが沢山あり、私達はそれに振り回されていきています。阿弥陀様はそのようなシャバの識別に関係なく「南無阿弥陀仏」の仏様となって私の元に至り来たってそのお徳で満ち満ちてくださいました。しかもこれから私がどんな立場に成っていこうとも変わらず寄り添い続けてくださいます。親鸞聖人が宣言された「非俗」という立場です。私がこの世でどうなろうとも、このいのちはやがてはお浄土にて仏となるいのちをいきているのです。
住職が20代のころ友人の友人が病気で亡くなりました。25歳でした「お前が死んだら私は何を支えにいきたらいいのか分からない」と悲しむお父さんにその人が言いました。「お父さん。私は死にゆくいのちをいきているのでは無いですよ。仏とならせていただくいのちをいきています。どうぞ悲しまないでください。」と微笑みながら語ったそうです。生死の迷いを超えて「往生成仏」のいのちを生きる。それが「非僧非俗」の喜びの生き方でした。