仏事・参拝・住職コラム(法話)
・お葬式を考えるとき(立派なお葬式とは)
エリザベス女王の葬儀や安倍元首相の国葬と、色々と議論があるなかですが、多くの人が葬儀について考えたのではないでしょうか。
さて、家族葬が一般的になり、会場も家から会館へと変わりました。それでも葬儀を行う意義は昔から変わってはいけない部分があることをもう一度おさらいしておきましょう。
①尊い人生を記憶に残す
先ず、1人の人が長い短いに関わらず、間違いなく尊い人生を歩んだことをみんなで確認することです。国葬等では連日様々なところでその人の功績が取り上げられていました。私達で言うと枕経からお通夜そして葬儀後の会食など、縁者がそれぞれに故人の想い出を語り、それを聞いて、故人の人生を振り返ります。そこに自分も関わる事により、支え合って生きる大切さを身をもって実感することはとても大事なことです。
②ご遺体を火葬する(荼毘に伏す)
身体はそこに育まれた様々な恩が込められたものです。また遺族にとっては身体を通して触れ合い、名前を呼び合いましたから、とても名残惜しい存在です。しかし、赤子から大人へと変化をしてきたように、身体とはやがては必ず失っていく存在であるという厳しい現実も知らなければ成りません。その事実を知らされることも葬儀の大きな意義であるのです。ご遺体との別れは特につらい瞬間です。でも、その避けがたい事実を知ってこそ、今ある身のはかなさと尊さを感じるのだと思います。
③仏法を聞く
宗教が変わっても葬儀に宗教が関わることにも大きな意味があります。それは①や②は送るという意味が強いのですが、それだけでは残った遺族は生きていけないのです。目に見え手に触れられる物は、無くなってしまいます。それでも故人のいのちの繋がりを受け継いでいけるのは、遺族であり、その受け継ぎ方を導いてくれるのが宗教です。浄土真宗では、故人は阿弥陀様に連れられてお浄土に生まれます。ですから「死」とは言わず「往生」と言います。さらにお浄土では仏様に成ります。仏様とは自在に生死を超える存在です。つまりいつも私の側に居てくださるのです。そう思えるのは仏法を通してしか味わうことは出来ません。つまり自分もまた浄土に往生し仏様に成っていくという事実を知ることに出会えた人にだけ開かれる世界です。
この①②③がそろえば立派なお葬儀です。大切なものが抜けていないか確認してください。