仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・死を前にした私に出来ること

2月15日は涅槃会(ネハンエ)といいます。仏祖であるお釈迦様の命日です。涅槃とは煩悩の滅した状態をいいますが、お釈迦様は精神的には35歳でお悟りを開かれてすでに涅槃の状態でした。しかし肉体的な苦は残っておられたので、この80歳で亡くなられたことで身心ともに涅槃に入られた(入滅)として大切にする日です。

 私達は煩悩という欲望のままに生きるために、それによって人生そのものが苦で始まり苦で終わるのだと、私達は四苦八苦の存在であると教えてくださったのがお釈迦様でした。

 その真髄は難しいのですが、このお釈迦様の発見は、私たちの身近なところでいきています。例えば、私たちは、好きな物を食べ、楽しいことをする日々を求めますが、一方でそればかりだと、身心共に病んでいくことをうっすらと知っています。ですから、自分自身の欲望に自制をしようとしますし、特にこども達には、いきていく上で我慢をすることを教えます。

 これらはすべて、お釈迦様が初めて煩悩の存在ということを教えてくださったのでうまれた思考回路です。 私たちは知らず知らずに自分の欲望のままに進む事への危機感を持っているのです。その原点は、私たちはどうやっても自己中心的にしか物事を考えられない危険性を内在させている悲しい存在であるということで、その危険なものを三毒の煩悩といいます。すなわち、自分の欲しいものをひたすら求める貪欲(トンヨク)、それを邪魔をする者を廃除しようとする瞋恚(シンニ)、思い通りにならなかったら人のせいにしていく愚痴(グチ)。この3つは私たちがかかっている病であるとして、三毒の煩悩といわれます。だから、気をつけようとお釈迦様はおっしゃり、仏教は煩悩を抑えることを実践してきました。そして特別出家しないような私達でもその自制心を、生きる知恵としてきました。しかしその自制心が最近は見失われてきてるように感じます。

 今の社会情勢は、あくなき自己主張と他者への責任追及、経済主義にひた走っています。その為にほんの10年前よりもいきかたそのものに苦しみが増えたことに、皆うすうす気づきながらも、その原因が自分自身の中にあることには、目をつぶっておこうとしています。

 お釈迦様が入滅なさるきっかけは、信者の青年が差し出した食事に毒が混ざっていたからといいます。うろたえる青年にお釈迦様は、人生最高の供養であったと、褒められました。それは、もし三毒の煩悩のままに、死をもたらした行為に怒り愚痴を言えば、その青年に苦しみを与える事となりますが、その時に自分自身が彼の人生の幸せのために何を今出来るのかを優先されたのではないでしょうか?死を目前にして弱った身でなおも他者の幸せを願える行為はとても美しいものです。そしてこのお釈迦様のお心こそ大乗菩薩道の原点であり、いま再び大切にすべきではないでしょうか。