仏事・参拝・住職コラム(法話)

住職コラム・法話

・戦争を無くす道があるとするならば

2月24日にウクライナで戦争が始まって1年が経ちました。テレビ等でその特集も組まれ、改めて現実の酷いことを痛感しました。

 軍事評論家の小泉悠さんは、戦争は「恐怖 利益 名誉」によって起こると言います。例えば「このまま放っておくと逆にこちら側が攻められないか」という恐怖と、「小さな犠牲はあっても後に大きな利益の為」という利益、権力者による「いま立ち上がることによって後世に名を残せる」という名誉です。

 さらに小泉さんは、この戦争は始まりに過ぎないという緊張感を持たないといけないと言われます。なぜならこの三要素は人間なら誰でも持つもので、つまり戦争とは人間であるが故に引き起こされるものだからなのです。

 確かにそう言われると、ウクライナを巡るロシアのプーチン大統領の発言や行動が注目されますが、同じような発想は世界中にあって、現にそれによって紛争も既に起こってきました。さらに私達の周りを注目すれば、同じような発想は既に日本にもあるのでは無いかと思うのです。

 さて、私はこの話を聞いてふと頭に浮かんだのが、この3つは仏教でもお釈迦様が、人間が迷いの存在であるのは三毒の煩悩といわれるものに犯されてると言われたことと、共通するなというものでした。三毒の煩悩とは「貪欲 瞋恚 愚痴」です。つまり「隣のものを羨ましがって欲しがる」という貪欲(トンヨク)、「思い通りにいかないと怒る」という瞋恚(シンニ)、そして「自分だけが被害者のように人のせいにして文句ばかり言う」という愚痴(グチ)です。

 しかもこの三毒の煩悩は、人間である以上、必ず持っているものだとお釈迦様は教えてくださったのです。

 そう思うと戦争とは人間の愚かさの結晶でしょう。必ず誰でも戦争を引き起こす可能性はあると自覚しておいた方がいいのです。

 解決の道は険しいですが、方向性はお釈迦様がお示しくださっています。ひとつは「兵戈無用」というお経の言葉です。兵隊と武器(戈)を持たないということ。持つから先の三要素が現れたとき、人間は使う理由や方法を考えるのです。

 もう1つは人は誰でも三要素を持っていることを、他の人に対しても理解する事です。そしてその私以外の他の人にいま自分は何が出来るか?と考えるくせをつけることです。それを大乗菩薩道ともいいます。

 住職は戦争を無くす近道こそ大乗菩薩道では無いかと思うのです。三毒の煩悩をお互いに持ちながら、実は苦しんでいるその人に、私は何が出来るのかを考えていく。みなさんいかがでしょう?